ご主人様が有休をとって、うちにいるので、え~なんで(ぶつぶつ)という感じの金曜日でした。
午後、ミシン作業を終えて、糸始末などしていたら、グラグラと地震が始まりました。
ファンヒーターを切って、猫たちを落ち着かせようとしている間に、ゆれはどんどんひどくなり、全然おさまりません。
ダイニングテーブルの下に入って、テーブルの足にしがみついて「お父さん~助けて」と思わず叫んでいました。
まるで船酔いのような揺れが永遠に続いているような気分で、これ以上ひどくなったらどうしよう、どうしよう、という時間が本当に長かったです。
その後も、余震がずっと続き、生きた心地がしませんでした。
幸い、棚の上に乗せておいた紙類や、積み重ねていたCDなど、私がいい加減にしておいたものが落ちただけで、被害はありませんでした。ライフラインも大丈夫でした。
猫たちは、洗濯機の後ろ、娘のデスクの下、押入れの中、など、それなりに隠れていましたが、本当に非難を必要とするような地震の時は、助け出すのがとても大変なような気がします。
1ニャン、余震の間におねえちゃんのお布団の中にもぐりこみ、お粗相をしてしまいました。怖かったのね。その後、とっても落ち込んでいました。
夜になっても、余震のたびにベッドの下に逃げ込んだりしています。
さて、出かけていた子供たちとはメールができず、心配していたのですが(こういうときは手動でメール受信しないとダメ、と、後で娘に教えられました)、娘はmixiをしていたことを思い出し、マイミク追加リクエストをして、すぐに連絡が取れるようになりました。卒業した高校(歩いて数分)に遊びに行っていたのですが、その後電車に乗って出かける前だったので、帰ってこれました。
息子とは「災害用伝言板」で連絡が取れて、大学にいることがわかりました。研究室の電話からは、すんなりうちに電話がかかりました。
電車はすべて不通なので、夜遅く車で迎えに行く、と言ったのですが、結局いつまで待っても渋滞が解消されることがなく、みんなと研究室に泊まる、ということになりました。
余震が激しい間は、スーパーに買い物に行くこともできず、ようやく午後7時近くなってから外に出たのですが、
電車が動いていないので、町に人影なく、異様な雰囲気でした。
ところが、大きな道路に面したスーパーに到着したら、一転、見たこともない風景でした。
夜だというのに、車は上り車線がぎっしりの渋滞。一方、歩道は見たこともないほどたくさんの人たちが下り方向にずんずん歩いています。
スーパーの中の、いつもは誰も使わない公衆電話には行列。
これは、大変なことになっているんだと、実感しました。
それでも、今回東京は、建物がたくさん倒れたわけでも、火災が発生しているわけでもなかったのに、こんな状態ですから、本当に被害が大きな地震が起きたら、どうなってしまうんでしょう。
被害に遭われた方たちに、お見舞い申し上げます。